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学ランのお話 Part-2

前回のブログでは、訪日する外国人観光客に学ラン(詰襟)のコスプレが人気だと紹介しました。6月になりこの時期は完全に夏アイテムの着用ですが、それに逆らい(笑)、今日はその詰襟のお話の続きを少々・・・。

 明治維新後に、西欧化に大きく舵をきった日本。これまでになった新しい文化を数多く採り入れましたが、一番大きな変化といえば、和装から転じた洋装です。それは学校生活にも取り入れられ、日本で最初に学校制服を採用したのは学習院です。1879(明治12)年のことでした。

そして、その3年後に国家設立の官立学校の学生服が制定され、1886(明治19)年には東京帝国大学が金ボタンの詰襟を制服に指定しました。その後、この詰襟スタイルが各学校へと広がっていったと言われています。ちなみに、通学鞄のランドセルも学習院が発祥です。 

詰襟とは立ち襟のことで、スタンディングカラーと呼ばれ、硬派でシャープなイメージを抱かせます。そのイメージそのままに、詰襟の採用は軍隊と同じように規律を守ることを重視したと考えられます。

 一方で、学習院が採用した詰襟は個性的で、当時とても人気を集めたようです。「海軍士官形」と呼ばれる立ち襟ホック掛けで、前留めをボタンでなくカギホック式としたもの。身ごろの合わせの部分にはテープで縁取りがされ、現在もほとんど変わっていないそうです。まだこのようなスタイルの制服を採用している私学校は複数ありますが、数少ないだけにすごく目立つ気がします。

 通常の金ボタンの詰襟も、一口に詰襟とくくれはするものの、カラーの高さや襟に白いパイピングを縫い込むラウンドカラーの出方、また黒といっても素材によって発色が異なるなど、各学校で微妙に違いがあります。でも基本的なデザインは変わらないので、例えば公立中学に通っているときに他の地域の学校へ転校した場合も、詰襟ならボタンや校章を変更すれば代用が可能という大きな利点をもっています。出身中学の詰襟を、進学先の都立高校で着用することもできるので、ユニスタではご希望があったとき、替えのボタンをご用意して、ご自身で付けていただくことをご案内しています。

 そんな詰襟制服も現在ではブレザー優位の時代となり、少しずつ姿を消しています。そもそも詰襟はカラーの部分に高さがあるので、どうしても暑苦しさを感じてしまうという意見もあったようです。そこでその襟を寝かせたものが、現在の背広の始まりです。なるほど、と思いますよね。今制服を着用している学生さんも、ブレザーのほうが脱ぎ着がしやすく、胸元もあいているのでラクだと感じている人が多いのではないでしょうか。

 ブレザーの歴史についてはまたあらためて取り上げるとして、いずれにしても学生さんの制服姿は若々しくてカッコよく、この時期しか味わえない大切なアイテムです。制服を着られるのはわずかな期間だけ。ぜひ上手に着こなして、学校生活を楽しんでほしいと思います!

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